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山本 彰美の履歴書

少しでも私のことを存じていただければと思い、ここに私のプロフィールを作成しました。拙い文章ですが、大阪中之島デンタルクリニックにお越しになる前にぜひお読みください。

少年時代
幼かった頃の私は「泣き虫、ひ弱、内弁慶」という、3拍子そろった小心者でした(よく「今となっては想像できない!」って言われます)。小学生の頃なんかは、1人遊び好きで、小鳥や鯉、犬などの動物たちと遊んだり読書をするのが大好きな少年でした。

その後の中学時代は、ちょっぴり活動的な少年になってしまいます。バレーボール部と吹奏楽部に所属して、また3年生になると生徒会長に立候補して当選するなど、自由気ままに楽しく過ごせた3年間でした。

高校に入ると吹奏楽部を続けるかたわら、フォーク・ロックのグループを結成して、学園祭のステージで歌い、それを見ていた女子高生に交際を申し込まれたりもしました。また、田舎ながらわざわざ遠くまでコンサートやライブなどにでかけたりして、音楽漬けの日々を送っていました。

高校3年の学園祭(10月だったと思います)を終えるまでは、まだ進みたい方向も決めかねていて、学園祭の自分のステージが終わってから、進路を探し始めましたが、やりたいことが判らないというとても悩んだ時期を過ごす毎日でした。

しかし、従兄弟がその半年前に歯科医師になったことで、話を聞く機会があり、歯科医師という職業に興味を持ち、親に歯科大学を受検したいと懇願し、真剣に受験勉強をするようになりました。

出遅れていたのがかなりきつく、苦しい受験勉強の日々を過ごし、浪人覚悟で予備校の願書を集めていたところに、合格通知があり、夢のような有頂天気分になり、未来への希望があふれる、それまで生きてきた中でもっとも嬉しい瞬間でした。

大学時代
プロフィール大阪歯科大学に入学した私は、今度は大学生らしいことをやりたいと考えていて、それには大学スポーツがいいと思い、小さな単科大学なら厳しいといってもたかが知れているだろうと、学内でもっとも厳しいクラブに入ってみようと考えていました。

クラブ活動の勧誘が強引でしたが、漕艇部(ボート部)に入ることにしました。野球やサッカーのように経験者が多くいるクラブでなく、ほとんどが大学に入ってからはじめられるということで、誰もが同じレベルであるということなど、ハンディがないのも入部を決めた理由でした。

ところが、弱小大学と思っていたのが大間違いで、入部直後にOBの先輩が「君たちには真剣にロス五輪をねらってもらいたい」という言葉に唖然。てっきり冗談だと思っていたのが、実は本気で、入部直後からの練習の苦しかったことは、今も忘れられません。

これ以上練習できないと思うくらいの毎日のトレーニングを続けることにより、ボート部員としてのプライドも生まれ、ボートをやり遂げることの喜び、先輩や後輩たちと共にすごす時間が、とても有意義に感じられるようになりました。

また何をされたとしてもつぶれないほどの強靱な体を作り上げることができたのも、大きな財産でした。ただ、全日本大学選手権をはじめ、各種の大きな大会には出場しましたが、結局の成績自体はあまり誇れるものはとれませんでした。それでもそこでの努力と経験は、人生において大きな役割を果たしています。

プロフィールただ、あまりにもボートにのめり込んだ為、試験前の一夜漬け即席勉強しかしていなかったので、要領だけでなんとか進級したものの、後で大きな苦労することになります。

6年生に進級したころは、学年でも下位の成績で、国家試験合格圏内にはまだまだほど遠く、その頃から毎日の睡眠時間を削って、ひたすら机に向かっていました。そのときはボートで鍛えた体力が、とても有り難く、成績も順調にのび、そして卒業と国家試験合格。

大学4年の時に急死した父と、その苦境を乗り越えて無事に卒業まで支えてくれた母、祖父母や妹弟、親族にひたすら感謝。毎日が「有り難うございます」の気持ちでいっぱいでした。今も「有り難うございます」はもっとも好きな言葉の一つです。

プロフィール

学生時代にはその体力にまかせて、スキーやマラソン(最初のフルマラソンでサブフォー{3時間台で完走}でした!)にも興味を持って、いろいろ出かけたりもしました。そして今もずっと続けることになるセーリング(ヨット)にも、精力的に参加するようにもなりました。

歯科医師になり、研修、開業、そして新たな展開へ
大学を卒業し、その後の進路として選んだのは、「歯科麻酔学講座」でした。あまり聞き慣れない講座の名称でしたが、それもボート部の先輩に引っ張ってもらっての入局でしたが、これが僕自身の人生を大きく左右する進路でもありました。

他の診療科に進んだ同級生が、歯を削ったり入れ歯を作ったりしている話題の中で、僕はひたすら、歯を触ることはなく、手術室での麻酔の雑用と、テキストを読んだりの勉強の毎日。開業歯科医院に進んだ友人たちの歯科技術の会話には、全く輪の中に入れず、はたしてこの進路でよかったのだろうかと不安になることもありました。

その後、大阪赤十字病院の麻酔科に研修に出させていただき、そこで部長以下百戦錬磨の麻酔科の先輩方から、直々に数多くの研修(これにはお酒を飲むことも含めて、人生の研修ということも大いに含まれます)を積ませていただきました。ここでの経験は、歯科医師の私にとっては、かけがえのない財産になりました。

その後、滋賀県大津市の病院歯科に勤務いたしましたが、歯科医師として「この麻酔の医学知識を学んでおいてよかった」と思える出来事が起こりました。

それはある日のこと、歯科治療を行っていると患者さんが局所麻酔の注射後に突然意識をなくされ、呼吸が弱くなり、診療室のなかが騒然となりました。それでも慌てることなく、冷静に対応して、無事に患者さんを回復・帰宅させることができました。

そこから僕の歯科医師としての考え方の根底には、安全にまた安心してもらえる歯科医療を目指そうという思いが強くわいてきました。どうしたら安全な歯科医療ができるのか、安心して受けてもらえる歯科医療とはどのようなものなのかということを、考え続けるようになり、その考えのもとに自分の医院を開業するに至りました。

開業場所は現在の和歌山県紀の川市
開業場所は現在の和歌山県紀の川市で、実家からそれほど遠くない地元の隣町でしたが、丁寧に一生懸命に患者さんひとりひとりと接しながら、さらに仕事がおもしろくなり、医療に没頭しているうちに、いつの間にか「治療が丁寧で痛くない」と多くの患者さんから評価をいただきました。

当然歯科医師としての技術的なレベルも上げていかなければなりません。新しい技術、材料を使った、質の高い、丁寧な治療にも取り組むようになり、歯列矯正やインプラントの勉強にも励み、それに自分の特色でもある痛くない快適な歯科治療を提供すること続けてまいりました。

患者さんが楽しくワクワクするような笑顔のもてなしや、清潔な診療空間、そして信頼される医療内容の説明、そして痛みなどの苦痛を伴わない歯科治療を行うことをライフワークにしていこうと考えました。

そういう取り組みをしていくにつれ、痛みや不安・恐怖感のない快適な歯科治療の評判が広まり、紹介によって京都・大阪・神戸・奈良の近畿圏はもとより、東は静岡から西は福岡・鹿児島、遠くハワイからも患者さんが来院されるようになりました。

交通の便はけっして良くはない医院までわざわざ飛行機や新幹線、特急や高速道路を利用して来ていただいた患者さん方には、頭が下がる思いでいっぱいでした。今まで、過去20数年間で、30,000例以上の鎮静・全身管理下での歯科治療を行ってきましたが、1例の事故を起こすこともなく、安全で安心してもらえる医療を心掛けてきたことが、よい意味で評価されたのだと自分では思っています。

これはけっして自慢ではなく、無事故であるというのは絶対に必要であり、当たり前のことであります。

「和歌山でなく、なんとか大阪で医院を開いてもらえないだろうか」
プロフィールそれらの患者さん方のなかから、「和歌山でなく、なんとか大阪で医院を開いてもらえないだろうか」という声がたびたび出て、それまでこぢんまりと地方での医療を行っていた私に、今回の阪大病院跡地・ほたるまちでの新規医院開業を紹介いただくということに至りました。

この地で開業したいと希望されていた歯科医師の方々は、恐らくかなりたくさんおられたに違いありません。

つまりここでの開業は、私が大阪の都会に医院を出したいと熱望したのではありません。患者さん方からの要望によって実現した医院が、大阪中之島デンタルクリニックなのです。

私はこれまで多くの時間を講習に費やして、様々な知識・技術の習得に情熱を注いできました。もちろん現在も続いていますし、またこれからも続いていきます。ほとんどが土曜日や日曜日の開催のため、休日がなくなってきますが、プロである以上、自分の技術に磨きをかけるのは当然だと思っています。

私が歯科医師になってよかったなと思える瞬間は、治療を重ねるたびに心を開いて接してくれるようになり、治療が終わって喜んでいただいたときです。

また、治療をしていて「この医院に巡り会えてよかった」という言葉をもらったときは、胸の奥から熱くこみ上げてくるものを、全身に感じられます。

医療に対する恐怖がなくなれば、次はよりよいお口を創り、それを維持していくことに協力させていただくこと、それもまた格別の喜びです。

大阪中之島デンタルクリニックに来ていただく患者さん方には、お口の健康に対する志を同じにして、みんなで共に笑顔を創造していくことを目指したいと考えています。

毎日忙しく診療に携わっていますが、ここで喜びと満足を感じて頂ける患者さんと1人でも多く巡り会えるよう、手を抜かずベストの治療を心がけています。「ここに来てよかった」という言葉と共に、心からの笑顔が私にとって最高のご褒美だと感じながら日夜、業務に勉強にと励んでいます。

それでは、あなたのお越しになる日を心待ちにしております。


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